本当の優しさとは一体なんだろう??

思考

本当の優しさを持つ人は、周囲からも優しくされる。

そんな持論が私の中にあったりします。

 

では、本当の優しさとは一体何でしょうか??

 

優しさの3つの発生源

 

優しい人は人にとって善い行いをするので善人なわけですが

 

まず、私は善の発生源は主に3種類あると思ってます。

1、自分の強さから起こる無償の善
2、自分の弱さから起こる善
3、何かしらのリターンを求めて起こる善

 

そして、私はその中で1だけが本当の優しさだと思ってます。

 

2、3も善行です。

しかし、優しさかというとちょっと違います。

 

2は「嫌われたくない」だったりの保守的な動機から来る善なので

厳しい言い方になってしまいますが

ある意味利己的です。

 

3は言わずもがな。見返りを求めての善の投資です。

 

別に、必ずしも1の善だけを行うべきである、というわけではありません。

しかし、1と2と3の区別が付かないと

あまりいい事にはならないとは思います。

 

単純な善行と優しさの区別

 

例えば、嫌われたくないが故に善を振りまくタイプの人は

周囲から八方美人と認知されがちです。

 

例えそれがいい行いであったとしても

周囲からあまり良い目で見られない。

これは典型的な悪循環ですよね。

 

3の例だと、無意識にリターンを求めて誰かに善を尽くしたものの

最終的に何も見返りがなかった場合

「私はこんなにも良くしてやったのに」

と思ってしまう。これは傲慢ですよね。

 

ならばいっそ

自分がリターンを求めて善を尽くした事を完全に認めてしまって

「あてが外れたな。失敗した。」

と思うような完全に打算的な人間になった方がまだ目的は果たしやすくなります。

 

自身の心の強さが幸福に繋がる

 

このように、真の優しさとはまず第一に

”無償である事を前提としたもの”

だと私は思うわけです。

 

(実は他に、”哀れみから来る善”だったりもあったりはするんですが、”自分が救われない人を見た時に哀れみを感じ善に尽くす事は、自分の不快な感情を無くす為という保守的な動機なのか、それとも衝動的な善の究極像こそが哀れみなのか”というちょっと深すぎるテーマになってしまうので、省いてます。笑)

 

何かしらを無償で提供できる人は、当たり前の事ですが

無償で提供できるほど何かしらに余裕があるという事です。

 

優しさは気持ちの問題なので、それを周囲に提供できるという事は

気持ちに余裕がある、つまり心が強い人だと思います。

 

だから、強い心を保っていたい。

結果的にそれが、自分だけでなく周囲の幸福にも繋がるんだと思います。

 

以上です。

ここまで見ていただき、ありがとうございました!

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ミズキ ヒラサカ

“何かを作る事”と“何かを作る人”が好きな29歳。偽名。 日々写真を撮りつつブログを書きつつ自分の考えをメモに残しつつトラックメイクもやる読書家のIT系通信制大学生で、カオスな毎日を送っている。 実はものすごい天パー。
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