努力とは、言い換えると「自分の持つ傾向に抗う事」

努力 思考

努力とは
自分の持つ傾向に抗うこと
だと私は思ってます。

例えば、自分が好きなゲームをずっとプレイしてれば、自ずとゲームのスコアは上がりますよね。

でも、自分が嫌いなゲーム
「これやって1週間以内にハイスコアを叩き出して!」
と他人から頼まれた時
その人は”この手のゲームが嫌い”っていう自分の持つ傾向に抗う必要があります。

それが努力だと思ってます。

 

良い結果は、必ずしも努力の先にあるとは限らない。

 

なので、何か目的を達成しようとする時に、一番なのは
その過程を努力だと思わないことです。
それを好きでやっていれば、楽しくてやっていれば
それはつまり、自分の傾向に沿った自分らしい行動という事だからです。

そこには「他人から認められたい!」っていう承認欲求も生まれないし
「あいつにだけは負けたくない!」っていう相対評価も生まれません。

つまり、何かしらの外的な妨げが発生したとしても、そう簡単には揺るがないんですよね。

この手の動機付けで動く人が一番強いんです。

思考停止という”自傷行為”

 

そういう考えもあって、私は何もかもの原因を努力不足に帰属する根性論が嫌いです。

恐らく色々あるはずの目標達成を妨げてる要因を
「頑張りが足りないからだ」
という一言で片付けるのは完全な思考停止なんですよ。

それを上司が部下に対していうのも、良く聞く話だし非常にタチが悪いけど
よりタチが悪いのは、自分が自分に対してそう思う事です。

「頑張りが足りない」事が問題なら、頑張ればいい。しかし、具体的に
何に対してどう頑張るのか
が明確ではないので、いい結果は生まれない。

その原因を再び「頑張りが足りない」ことに帰属する。自分を信用できなくなる。

 

自分に対する思考停止は、ただの自傷行為です。

”努力は報われるか否か”問題

 

なので、無責任な人が
「努力は必ず報われる!」
なんて言ったりしますけど、そんなわけないんです。

努力とは、あくまで自分の持つ傾向に抗う、ただそれだけのことなので
そもそもの話、努力する事自体にすごく意味があるわけじゃありません。
”何のため”に努力するか
”どういった形”で努力するか
っていう、目的と手段がまずは大事なんです。

報われない努力を避けるために

 

この目的と手段がズレていると、それは”無駄な努力”になり得ます。
無駄な努力を避けるためには、まずは努力に対する過剰な信仰を捨てるべきです。

例えば、受験に合格するためにどれだけ精一杯ランニングしても意味がないですが
努力を過剰に信仰してしまっていると
何故かがむしゃらにランニングを続けて、勉強時間が減る
なんて事が起こりうるんです。例え話としてですね。

だから、努力は必ず報われるとは限りません。
良い結果は、必ずしも努力の先にあるとは限らないんです。

努力のもう1つの側面

 

ただ、私は決して努力そのものを否定しているわけじゃありません。

努力とは、とても素晴らしくて面白味のある行為でもあるからです。

努力は、自分の中の枠組みを超えさせる

繰り返してしまうけど、努力とは自分の持つ傾向に抗う事だと思ってます。
つまり、努力して起こす行動とは、本来の自分らしくない行動だということになりますよね。

それは更に言い換えると
本来の自分という枠組みを超えた全く新しい自分との出会い
という事にもなるんです。

枠組みは、自分の行動を制限する

自分が持つ既存の枠組みの中でずっと過ごしていると、そこには必ず偏りが生まれます。

この偏りは、音もなくドンドン強度を増していくもので
時間と共に既成概念に進化して、自分の行動や思考に更に制限を掛けていきます。

新しくて便利なものを頑なに使いたがらなかったり
常に決められた手順でしか行動できなかったり
自分の枠の外の事を考えなしに批判してしまったり

枠の中には変化がないので居心地が良い分、新しい発見もありません。
既成概念にとらわれて、同じ失敗を何度も繰り返してしまったりなんて事も起こり得ます。

”自分らしくない状況”が持つ返報性

でも、自分が努力している、負荷がかかっている、と感じる時、それは
自分という枠の外に出ているという事です。
枠の外に出てみて初めて

「実は自分はこれが得意だった」
「自分は意外とこれも好きだった」

っていう発見が生まれる事もあります。
それは、自分が本来絶対に持たない、持ちたがらないであろう新しい視点です。

”自分らしくない状況”にも返報性があるんです。

努力が努力じゃなくなる時

そして気がつくと
”もともと努力だと思ってた事が努力じゃなくなってた”
なんて事も起きたりします。

自分の枠が一段階広がったという事です。
”成長した”って言い換えることもできます。

努力が努力じゃなくなる時
より広い視野でものが見れて、広い範囲で行動ができるようになります。

それも、努力の素晴らしいところです。

まとめ

努力2

努力とは、やれば必ず報われるものではありません。

目的と手段がしっかりと定められてて
かつ2つがしっかりと繋がってないと良い結果は生まれないんです。

その経緯を無視してただ単に努力不足に悩むのは自傷行為と一緒です。
だから、努力に対する過剰な信仰は捨てるべきなんです。

 

でも、努力を神聖なものではなく、単純に自分の持つ傾向に抗う事だと考えた時
そこにはまた違うメリットが見えてきます。
新しい視点と発見です。

そして自分の枠を超えた事をしているうちに
努力だと思っていた事が気づけば努力じゃなくなっていた
なんて事も起こり得ます。
それが自分の枠の拡大であり、成長です。

 

努力を信仰せず、努力と協調する。
それが大事だよね、っていうお話でした。

 

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ミズキ ヒラサカ

“何かを作る事”と“何かを作る人”が好きな29歳。偽名。 日々写真を撮りつつブログを書きつつ自分の考えをメモに残しつつトラックメイクもやる読書家のIT系通信制大学生で、カオスな毎日を送っている。 実はものすごい天パー。
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